松本人志の「しんぼる」のオチに唖然

松本人志の第1回監督作品となった「大日本人」は、彼の持ち味が存分に発揮された問題作であった。
既存のフォーマットにとらわれない展開とオチは賛否両論を巻き起こし、そのぶっ飛び具合に困惑したファンも多かった。

そして今回、皆さんにはもう一度覚悟を決めていただきたいと思う。
なぜなら松本人志監督作品第2作となる「しんぼる」は、前作をはるかに上回るぶっ飛び映画だからだ。

メキシコのとある町で家族と暮らしているプロレスラー、エスカルゴマン。
ある日、いつものように朝を迎えた彼の妻は、夫の様子がいつもと違うことに気づいていた。
それは今日の対戦相手が若く過激なテキーラ・ジョーであるということだけでなく、何かが起こりそうな胸騒ぎを感じていたからであった。
一方、時を同じくして、パジャマの男は四方を白い壁に囲まれた部屋で目を覚ました。
ここはどこなのか、誰の仕業なのか、何が目的なのか……。
全てが謎に包まれたまま、男は部屋からの脱出を目指す――。

物語はエスカルゴマンと謎の男(松本人志)の二つのパートを交互に繰り返しながら進んでいく。
メタボ気味のエスカルゴマンの日常を淡々と描くメキシコパートに対し、白い部屋パートは松本節全開の一人芝居だ。
それぞれのパートは同じ映画とは思えないほどに雰囲気が異なっており、どこで二つのシナリオが交錯することになるのかが本作の見所の一つとなっている。

しかし――断言してもいいが、最後まで見た観客の9割は、またしても前作同様、いやそれ以上に突き抜けたオチを目にして唖然とすることだろう。
おそらく今この時点であなたが予想しているオチは、絶対に当たらない。それぐらいに衝撃的なラストである。
……ただし、衝撃的であることと面白いかどうかはまた別だ。
やはり松本人志のセンスは良くも悪くも常人とはかけ離れているのだということを改めて実感させられる作品である。

ちなみに筆者が本作を見終わった直後の気持ちを、無理矢理別の何かに例えるならば、13年前に見たTV版エヴァンゲリオン最終話のそれに近いような気がする。
……それが、今書けるオチについてのギリギリのヒントである。
実際にご覧いただければ、こう書いた意味がわかってもらえるはずだ。

そもそもエンターテインメントを知り尽くしている松本人志のことだから、ハリウッドのような単純明快な娯楽映画だって作ろうと思えば作れるはずだ。
しかし過去の彼の映画に対する発言などから考えて、今後松本が新作を撮るとしても、そうしたわかりやすいエンタメ映画に走る可能性はほぼゼロだろう。

個人的には、一度彼が本気で時間と予算を投入して作ったサスペンスやアクション大作なんかも見てみたいと思うのだが。

常人が理解できない作品の場合、何年何十年経った時に初めて評価されます。
例えばゴッホなどもそうですし、理解を超えた作品というものはその時には批判ばかりでしょうね。
もうお笑いではやりつくした感のある松本ですが、既存の映画にとらわれていないという段階では成功なのでは?

無修正

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